
沖縄県立芸術大学准教授 嘉数 道彦
「組踊を残しながら、沖縄芝居を生み出した」
-沖縄の演劇の特徴、魅力を教えて下さい。
〈組踊〉
琉球王国時代、琉球は諸外国の交流交易を大切にしていましたが、その中でも特に関係の深い中国とは冊封体制を築いていていました。
その中で、中国皇帝の使者である冊封使が琉球を訪れる際のおもてなしの一つとして作られた芸能が組踊です。
いわゆる宮廷芸能として生み出されたものですので、あくまでも観客対象は国賓ともいえる中国からのお客様でした。言ってみれば、沖縄の人たちのために作られた娯楽の演劇ではない、というのが組踊の大きな特徴です。
中国の方々へのおもてなしの一つという意味では、この組踊の作品自体も、中国の方が共感できるものをつくる必要がありました。当時のアジア、中国の方々が重んじていた忠孝の精神、儒教道徳の精神をベースに作られているのも、組踊の古典作品の特徴になると思います。
「君に忠、親に孝」、主人に忠節を尽くして、親に孝行をしましょうという言葉どおり、組踊の作品は、敵討ちものや孝行ものが大半を占めています。また物語の終盤、首里王府が情け深い王府として介入してくる作品もあり、琉球が中国と同じような考えや方向性を持った国家であるということを、組踊を通して伝えようとしていたのだと思います。
また、対象は中国の方々であるにも関わらず、中国語ではなくあえて琉球語でつくりあげているのも興味深いところです。
琉球王国には、大和文学などに影響を受けながら作り上げた琉球独自の文学や言葉、王朝文化を紹介し披露する席でもあったのだと思います。
〈沖縄芝居〉
沖縄の大衆演劇、沖縄県民の娯楽として育まれてきた演劇です。首里の氏族たちが外交の際に披露していた組踊は、廃藩置県以降演じる機会がなくなっていきます。
それまでは公務員といえる士族が主に国家行事の際に演じていましたが、明治になって初めて、自分の生計を立てるために入場料を取って芸能を披露するというスタイルに変わっていきました。
組踊や古典舞踊は一般の方が触れる機会のない芸能でしたので、当初は興味関心を引いたようですが、やはり格調高い世界で作られてきた芸能ですので、なかなか一般庶民の肌には馴染まなかったそうです。
そこで、客受けをする演目として生まれたのが沖縄芝居です。
例えば主人公を庶民のお百姓さんにしたり、宮廷音楽ではなく、民謡や流行り歌を用いたりというような、庶民の共感が集まる工夫がされました。
明治・大正・昭和を通して、お客さんのニーズに合わせた作品がどんどん誕生していきます。
また、一方で琉球の史実を扱った琉球史劇なども生まれました。
私が非常にすごいなと感じるのは、元々自分たちが演じていた組踊を、組踊としてしっかり残しながら、新しいジャンルとして沖縄芝居の演目をどんどん生み出していったというところです。
おそらく既存の演目をお客さんが共感しやすいものにアレンジする方が簡単ではあったと思いますが、そうしなかったからこそ、現代まで組踊と沖縄芝居という二つの魅力ある芸能が継承されているのです。
「生き続ける舞台であってほしい」
-50年後、沖縄の演劇がどのように継承されていけたらよいとお考えですか。
組踊は組踊として、沖縄芝居は沖縄芝居として、その魅力が50年後の人々にもしっかり伝わっていて、皆さんに愛されているというのが夢ですね。組踊も沖縄芝居も、博物館で紹介されているのではなくて、劇場にお客さんが見に来て、ぐっと来たり、おかしくなったり、笑ったり泣いたりできる、そういう状況で残っていて欲しいなと思います。50年後も、組踊と沖縄芝居の両方が、県内外の方々に誇れる沖縄の演劇であってほしいです。
また、これまでにない新しい沖縄の演劇が生まれてきてもいいですね。
時代や環境に合わせて新しいものを生み出すことができるのも、大きな沖縄の力だと思っています。
新しいものを生み出しながら、伝統的な組踊も沖縄芝居も共に生き続ける舞台であってほしいです。
「日本の芸能の一つとして」
-美ら島おきなわ文化祭2022の開催にあたり、期待していることがあればお願いします。
組踊や沖縄芝居は、沖縄を拠点にした芸能ではありますが、日本の芸能の一つとして認知度をもっと上げていくことが私たちの責任だと思っています。
本土で継承されてきた伝統芸能とはまた少しカラーが異なる文化があることを国民の皆さんにも知ってもらいたいです。
また沖縄の芸能は、本土の芸能から様々な影響を受け育まれたという背景もありますが、これからも県内外の多くの皆さんの目にふれて頂き、さらに高まっていけるよう、皆さんと一緒に育んでいけたら幸いです。
美ら島おきなわ文化祭2022では、私たちも自信を持って沖縄の芸能を紹介したいと思います。